富山県南米協会

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南米教会とは

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南米協会とは?

 富山県南米協会は、南米諸国(中米を含む)との緊密な交流のもとに友好親善の促進をはかることを目的として、県、各市町村並びに県内各界の皆様の将来を洞察した英知と深いご理解、ご協力により昭和54年に設立されました。
 以後、当協会は、各位の深いご理解とご支援により、南米諸国との経済、技術及び文化の交流、南米諸国に関する資料の整備、調査、研究及び紹介、南米諸国にお ける富山県人会との交流、県出身移住者の実態調査、南米の留学生・研修員の受入協力、日本語普及の支援、ポルトガル語教室の開催、機関紙発行あるいは県の 委託による南米移住史の編さんなど各種の活動を行うとともに、南米諸国との友好親善の促進につとめています。
このように、当協会は全国的にもユニークな活動を続けており、1985年(昭和60年)には、外務大臣表彰を受けております。top


海外移住について

1.海外移住の概要
  • 1.戦前の移住

     海外には現在、約27万人の日本人移住者を含め、約380万人の日系人がいると推定されています。これら日系人は受け入れ諸国において政官界、産業界、芸術・文化等の広範な分野に進出し、各国の経済及び社会の発展に大きく寄与しています。
     日本人の海外への移住は、1868年(明治元年)のハワイが最初でした。1885年には、日本とハワイ王国との間で移民についての話し合いがまとまり、政府の手による本格的な海外移住が始まりました。その後、移住は、アメリカ本土、カナダ、ペルー、東南アジアへと広がりました。1908年ブラジルへの移住が始まり、以後第2次世界大戦開始まで続いていきました。富山県出身者の南米諸国への移住が始まったのは、1909年(明治42年)のことでした。

  • 2.戦後の移住

     戦後の移住は、1952年のブラジル移住から再開されました。戦災後ということもあって移住者は急増し、1955年には1万人を超え、1957年には年間1万7千人を記録していました。移住先もブラジルからパラグアイ、ボリビア、アルゼンチンなどへと拡充していきました。しかし、1960年代になると日本の経済発展に伴いその数は減少し、1962年には年間1万人を割りました。

  • 3.移住の形態

    この間、移住の形態も大きく変わりました。戦前や戦後間もない頃は、家族そろっての農業移住が中心で、農場で働いたり、開拓農民として集団移住地に入植したりするケースがほとんどでした。ところが、最近は、「農業中心から商工業・サービス業での移住へ」、「集団移住から個人での移住へ」と変化してきています。そして、南米ばかりでなく、カナダ、オーストラリア、アメリカへ移住する人がおおくなってきています。

  • 4.これからの移住

    このような移住者の減少、形態の変化に伴い、政府による移住奨励は行われなくなるなど、日本人の海外移住は新しい姿に変貌してきています。しかし、移住を通じて、日本と受入国との関係が強化され友好親善が深まること、日本人の活躍への支援により受入国の発展に協力できることなど、海外移住の果たす役割は大きいといえます。
    これからは、移住者への支援と共に、日本のよき理解者である日系人への支援、協力をいっそう進めていく必要があります。top


2.海外日系人及び戦後の移住者数

上段:日系人推定数(2016年現在)
下段:戦後の移住者数(1989年12月末現在)
総数 約3,800,000人以上
262,078人
資料:海外在留邦人数調査統計  平成17年版(外務省領事局政策課)
(注) ここでいう日系人とは、日本国籍を有する永住者及び日本国籍を有しないが、日本人の血統を引く者(帰化一世及び二世、三世等)の双方を含むものであり、表中の数値は各種統計及び在外公館の調査による推定値である。top


3.富山県からの海外移住者
国別 人員
ブラジル 1858
アルゼンチン 563
ペルー 98
ボリビア 19
ハワイ
266
ニューカレドニア
248
タヒチ
28
カナダ
22
チリ 3
パラグアイ 9
コスタリカ 3
メキシコ 210
フィリピン 193
3013
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